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2022.10.04
台風15号3日目
台風15号被災後3日目
3日目になると、川の勢いはだいぶ落ち着いてきた。キャンプ場へ向かう道路崩落現場では、未だ見つからない行方不明者の捜索が懸命に行われていた。キャンプ場には、朝から町役場の職員の方、現地調査や測量の関係者の方が出入りし、各々調べて回っていた。
見聞きしていくうちに分かったことは、何を始めるにせよ、まずは現場調査や測量を終えてからであること、そしてそれを経てから、復旧計画をたて、復旧工事となる流れであること、
そしてなにより、これらを行うには、自分たちの手に負えるようなものではなく、町や国レベルで行われるものであるということだった。それは同時に、前例がない天災による甚大な被災により、この復旧工事は、途方もなく長い時間をかけて進められていくことを意味するもの
午後からは、地元業者の徳山建設さんが来てくださり、重機を入れ、道路が崩落した箇所の水の流れを変える作業を行なってくれた。
今の段階においては、まず人命が優先であり、孤立している地区の復旧を早急に行わないといけない状況である中、キャンプ場の作業をしてもらえたことに、ただただ感謝しかなかった。
おかげで、川の流れが変わり、崩落箇所に水が当たらなくなった。仮とはいえ、これ以上の崩落が起こる危険が低くなったことに、一安心することができた。
その後貴重品の持ち出しや、dinerの掃除をしていると、駐在所から、流された軽トラらしきものが川で見つかったと連絡が入った。行方不明者の捜索範囲の目安にもなるかもしれないと思い、直ぐに発見場所に向かう。
見つかった場所は、キャンプ場から7km先の下流だった。
タイヤは4つともすっかりなくなり、全体的にぎゅっと押しつぶされた、ただの大きな鉄の塊になっていた。ナンバープレートはなくなり、車体番号も確認できず、分かったのは、SUZUKIのキャリーらしい軽トラックということだけだった。
あのすさまじい濁流の中を7Kmも流された結果、ただの鉄の塊となり果てた軽トラは、もちろん窓ガラスは割れ車内もめちゃめちゃで、残っているものは何一つなかった。
被災直後から、各地でたくさんの方が復旧に向けて動いてる中、自分はといえば、甚大すぎる被災をしたキャンプ場では手も足も出せず、動くことも何もさせてもらえなかった。自分にできたのは、自然の脅威によって目の前で起こったことを、ただただ理解しようと噛み砕いて飲み込んでいくことだけだった。現状において、自分の手や足を使ってできることといえば何なのか、何から手をつけてよいのかとにかく考えるしかなかった。